SBT420の日記

名古屋グランパスのファン。

映画の休日

昨日だったか、ラジオ聴いてたら人気の楽曲を原作に映画化とかなんとか。
本当にそんなやり方で良い作品ができるのだろうかって思わせることをいつもやるよね。期待をさせるような予想の裏切り方をしてくれない。まぁ実際個人的には公開中の映画って相当好きな要素がない限り観ないんだよなぁ。
劇場で観ない奴がどうこう書いても無意味。

なんかこう、漫画原作だけじゃ飽き足らず、利用できる物はなんでも使っていく映画業界大丈夫かと。制作側が儲かるだけの映画しかないから衰退が囁かれる。オリジナルでも低予算でもいいから採算度外視で作ってもらえないかな。
でも邦画って本格的に内容の幅が狭くなってると思う。ジャンルも舞台も同じだと内容が自然と同じになるくらいバリエーションが乏しい。内容もそうだけど俳優の幅が無さ過ぎる。制作側が狙う層がいつも同じだからそうなるのかな。観る側の好みとか年齢の偏りが邦画の偏りに影響されてる気がする。
個人の好きな物が、皆が好きな物でなければいけない風潮と言うか、そういう同調圧力的なものが少なからずあるのでその偏りが邦画をつまらない方向へ偏らせているかも。
あと、日本って映画を撮影するのに向いていないような。カーチェイスとか無理でしょ。ほとんど見たことない。主要な道路封鎖すると交通マヒする。色んなところに許可取らないといけなさそうだし。
観光地や季節はあれど、国土が狭いから限度がすぐくる。そういえば1つの部屋や場所だけが舞台の映画でも好きなものが何本かあるな。パッと思い浮かぶのは「キサラギ」か。


映画「ローマの休日
某国の王女アンは親善旅行でヨーロッパ各国を訪問。最後のイタリアのローマで過密日程に我慢の限界を迎える。睡眠薬を打つなどして眠ろうとするが、大使館を抜け出す。しかし睡眠薬が効き始め路上で眠ってしまう。そこにアメリカ人記者のジョーが通りかかりアンを介抱する。睡眠薬で意識がはっきりしないアンを見かねたジョーは自分が住むアパートの部屋に連れて行く。翌日、寝過ごし遅刻して会社へ行くと朝刊でアンが王女であることを知り、独占取材を試みる。
印象とかイメージとしては恋愛映画の原点みたいな感じだったけど、それほど間違ってはいなかったかなと。
これ以前に元ネタとなるような話があるかどうかはわからないけど、これがよくある話の元ネタであると一応思っておく。
物語の基本の1つが詰まった内容で、それは間違いなく面白いから安定感は信頼できる。
ただ、そういう基本的なものでも気に入らない部分はあるわけで。王女は自由の無い生活に不満を持っていて、普通の人たちの暮らしに憧れるってところまでは良いけれど、ローマの街をスクーターで爆走するのは見ていてあまり爽快感はなかった。あとここを気に入らないとそれこそ文字通り話にならないけど、ジョーの部屋から帰るためにお金を借りておいて王女だとバレるリスクを完全に無視して買い物したりするのはどうなのよ。
そういう部分を自分ならどうするかなー。