SBT420の日記

名古屋グランパスのファン。

酔わずに人並みのコミュニケーション能力を発揮したい

文面から偉そうという態度が読み取られてはいなかっただろうが、それでも提案しておいて遅刻をするというのは言い訳を妨げる。

電車の乗り換え案内の検索結果は時として100m走の世界記録保持者じゃないと間に合わないものが出てくる。

 

まぁなんだかんだ余裕を持って出発したおかげで、友人の結婚式にはそわそわするくらいの時間はあった。

結婚式に出席するのは3回目だけれども、姉といとこの式だったので友人のはこれが初めて。

特に何かをするわけでもないのにどう振る舞えばいいのかわからなくなっていた。

 

これまでと違ったのは神前式?だったこと。

遠目に見ていたが、どれも意味がありそうな段取りに少し興味が出た。

 

後はそこまで変化のあるものではなかった。

大学時代の友人2人の前でビールをたらふく飲む。友人親族に挨拶した時は良いフォローをしてくれた。

 

終盤になると、どうも絶妙に緩んだ涙腺は寸前のところまで来ていた。

少なくとも4年は同じ時間を過ごしたはずなのに、どうしてあんなにも大人に見えたんだろう。

もしかしなくても自分が全く成長していないということなんだろう。

語彙が壊滅的になるくらい羨ましいけれど、自分がああいう感じになるまでに一体いくつの壁を超えなければいけないのか。

そういう色んな感情が入り混じった涙が出そうで出ない。

嫌いなものに向ける感情の火は揺れない黒色

世の中には色んな人がいるなんて言うけれど、最初にそれを感じたのは高校生になったくらいの時だった。

ただその時はポジティブな印象だった。

今となってはまるで逆の印象のほうが強い。

色んな(迷惑をかける)人がいるというニュアンスを含むのが本来の意味なのではないかと。

 

そういう人は遠ざけたい。

声がデカいジジイから積極的に離れたい。

できることなら淘汰したい。

 

 

停電なんかした時の灯りでロウソクが未だに使われるのって何かメリットがあるのだろうか。

LEDランタンとかあるし、ロウソクの火で火事になったというニュースも見かけた。

何だろう。f分の1のゆらぎとかかな。

まだそんなことを考えられるくらいには危機感が足りない。

すりおろされる余裕

台風の直後に地震かぁ。

明日の代表戦も中止せざるを得ないほどだし。

こればかりは仕方がない。

 

もうちょい余裕があればそういう準備もしておけるんだけどなぁ。

明日は我が身ということで優先順位は上がった。

 

まぁ税金もそうなんだけど、ぶっちゃけ今月を生き抜くことすらギリギリな人間にとって、先を見据えた保険を用意するなんて二の次どころの話じゃあない。

さらに言えば、さすがに本人に直接伝えることはないけれど、友人の結婚式なんかにも参加している余裕はないし、本来あるべきはずの余裕をそこに突っ込んている状況。これがなければどれほど楽か。

 

などと愚痴っていては負の連鎖から抜けられないのかもしれない。

生きる糧は1日の最後にちょっとしかない

もっと綺麗で豊かな生き方だってできるはずなのに、自分じゃどうしようもない細かい障害が積もり積もって大きな苛立ちになるせいで何もかもうまくいっていない気がする。しかもそれが寝起きからってんだからもうやってらんね。

隣人黙らすのに何が必要かって、デスノートかな。

 

自分以外の人間がみんな自分より幸せに思える。幼い子供を見ると泣きそうなくらい羨ましく感じる。

 

アラームを設定せずに寝る瞬間だけが生きていて一番良い時間なのかもしれない。

それはまるで錬金術

元々少なかった作業が台風でほとんどキャンセルになり、午前中で帰宅。

 

 

昨日、鋼の錬金術師展へ行ってきた。

どう考えても夏休み中に行くのは愚策で、そのあたりのタイミングとしてはうまくいった。

しかし会場が行き慣れていない松坂屋だったので迷う。

ちょっと前に鈴木敏夫さんの展示を観に行ったばかりだったのに。

やっとこさ着いて、全てを凝視してきた。原画展なので撮影できるものが少ない。それだけ価値があるのだ。

そういうチョイスの仕方だったのかもしれないが、とにかく修正の少ないきれいな原稿ばかりだった。

会場内に響き渡るのが展示の最後の方にある映像の音声だったけれど、あれはどうにかならんかったのか。あそこは部屋っぽくして音声がダダ漏れにならないようにして、会場内にはアニメの歴代主題歌を流せばと提案したくなった。できるかどうかはわからないけれど。

あれだけの名作なのに読んでない人って結構いるもんだな。知ってる人に説明されながら見てる人が多かった。その説明の中にリン・ヤオが中国から来た人って言っていたのは笑いそうになったけれど。

なんとか捻出してイラスト集を買わねばいけないと思いだした。

 

その後、ついでにユーリの原画展にも行ってみたけど、こっちの方が値段が高いのに割に合わない内容だったぞ。

 

どちらにも求めたいけれど、少しでいいからネームも展示してほしかった。

完成原稿だけじゃどうしてもわからない部分ってのがある。そこまで読み解けたら苦労はないのだ。

 

ちなみに姉も日曜日に行っていたそうで。こちらから聞かないとそういうこと言わないのってどうなんだ。そのへんは色々と思うことはあるけれどまた別の話。

それぞれワンセットずつ単行本を持っている作品ってハガレンとワートリくらいか?

 

さらにその後はラジオの公開生放送を聴きに行ったり。

これもう独りじゃないとできない行動プランだよなぁ。

っていうのは先月もグランパスの試合を観に行くのが続いた時にも感じた。