SBT420の日記

名古屋グランパスのファン。

可能性の有効期限

常日頃、と言える程の頻度で死んでもいいかな、と思う。
でも現実逃避している間だけは楽しいのでそう思わない時間もある。
そんなことをいつもぼんやり考えていたら、ふと、今の時代を今の年齢で生きなければいけないことが嫌になっているのではないかと。明るくはない今でも可能性が満ち満ちている年齢で生きていたらもう少し希望を持っているだろう。

可能性に満ちた年代、学生時代の過ごし方で、可能性の活かし方というか、その時やっていることの意味というか。なんかこう、色々と密度の無さを後悔している。
学校の勉強は将来役に立たないのにする意味がわからないと言いがち。今、自分の状況とか考え方とか後悔したおかげでその意味っていうのがなんとなくわかったような気がしてる。
毎日、目の前に問題があって、乾いたスポンジの如き吸収力を活かして知識を溜め込める環境で身に付けるべき能力っていうのが、考える力だと思う。
それは根本的なもので、派生すれば知的好奇心になったり、行動力に変化していく。自分が生きている世界のことを知らないでどうするって気がつければ教科書を読むのが辛くなくなる。知ることの刺激を身をもって体験することができれば何に対しても身体は動く。身近にその仕組が活かされていることがわかれば様々な数式を解きたくなる。定型文のように繰り返されている言葉も、聴き流すことなく考えることでそこに込められた意味や本質を読み取れば、一度しかない1年の貴重さを無駄にすることはない。そうやって積み重ね培っていけば自分が進みたい道は見えるし、その道を歩くため必要な勉強は何なのか、その必要な勉強ができる学校はどこなのか、その学校に行くためにはあとどれくらい点数がいるのか連鎖的に答えは導き出される。
暗記はできてもそこに連続性がないとすぐに忘れてしまう。物事には何にだって順序がある。流れも一緒に把握しないと効果的じゃない。暗記が得意でもテストで点数を稼ぐ程度のものなら謙遜するだけに留めておいたほうがいい。他に伸ばすべき部分がある。
できないのは思い込みで、見方を変えたら好転する。それに気付かせてくれる存在が現れるのは運次第だけれど。個人的に高校の時の数学教師が授業中に出す問題を答える順番を成績の下から指名していくような人でなければ…と。
勉強を教科書通りに教えるだけの教師に従っているだけじゃ勉強の意味って何なのか絶対にわからない。問題の答えは教科書に書いてあるけれど、人生という意味での正解は教科書には書いていないのだから。

限界が来て、諦めなければならなくなったその時が、断つ時なのかもしれない。