やりたくないって思いながらやった事のクオリティが明白すぎて。
こういう時だけ素直にならなくても。
逆に丁寧にやったとて簡単な言葉で終わる。
これは別にやりたいかどうかとは違うけれど、自己満に行き着くばかりだと自分を見失いそうになる。
やりたいことをやろうとすれば買わなくても苦労はついてくる。
それにどんな意味があるかはすぐにわからないけれど、乗り越えたり取っ払ったりしたいという思いが強い推進力になる。はず。
個人的には苦労と言うか、どれだけ住んでも都とは程遠い住まい(主に隣人)から抜け出したいという不満かも。こんな所で燻っていないで、猫と共にもっと良い都で生きたいのだ。
好きだと感じるもののどこかそうなのか考えたり具体的な言葉にする作業は意識してやっていることである。
いつかきっとそれが道標になると思っているから。
進みたい真っ暗な道を照らせる希望がこれしかないのだ。
だから嫌だなって思うことをやっていると迷子になる。