言葉にしたりブログに認めたりすると無意識にそっちに傾く気がする。
自分が何に興味を持って、何に興味を示さないかなんて決めつけるようなことじゃないのかもしれない。
興味の有り無しは好き嫌いではないというのがまた厄介。言語化できそうだけど、一言じゃ表せない。
「好きだけど詳しくない。そういう好きもあっていい」的なスタンスがあるようで。
ぶっちゃけこれも人それぞれに尽きるから興味無しに至ってしまうわけだけど、自分が考えつくことはほとんどがそういうオチになってしまうので思考が八方塞がりになってしまう。
ただあえて言うのなら、これはあまりにも不自然だと感じる。
好きなのにそこで立ち止まるのか。
早いか遅いかあるだろうが、のめり込んでいくのが自然だと思っていた。むしろそうしないとその好きという気持ちが自分の中だけでは収まらないだろう。
だからもう言い訳にしか聞こえないし読み取れない。マウントとってきた相手に対してそう言って自分を正当化しようとしているとしか思えない。
多分、どこかに詳しくなるくらい楽しみたいという思いはあるはずなのに、時間やお金や世間体とか何かと理由を付けて自分を割く手間を惜しんでいるんだと思う。それにのめり込んだ結果、後悔するかもしれないしそこに注いだ時間やお金が無駄になってしまうかもしれない。良く言えば保守的、悪く言えば面倒くさがり。
個人的にもそういうのあって、彼らの音楽を全部聴いてみたいけれど、デビュー20年以上とか言われちゃうとなかなか難しい。何年も前にレンタルした数枚のアルバムを繰り返し聴くだけになっている。そんなんじゃ好きだなんてとてもじゃあないが言えない。