というわけで、父が朦朧としながら息苦しさに耐えながら寝たり起きたりを繰り返す中、起こそうとする身体を支えるくらいしかできる事がない。
22時か23時くらいに祖母と父の弟の叔父、姉と姉の旦那も病室に揃う。
薬の効果で眠る父の呼吸がゆっくりになっていった。
30日の1時前にはそれも何度か止まる。脈も弱くなっていったようで、病室にモニターが運ばれて来た。医療ドラマでよく見るあれ。それが運ばれて来たということはそういうことである。
1時を少し回った頃、自分が生まれた病院で父を看取った。
こういう言い方も何だけど、葬儀屋って24時間稼働しているんだな。
深夜の2時くらいに来てもらって葬儀場へ。
頼りなさそうなおじさん係員?に受け入れをしてもらい、明け方5時くらいに葬儀場の宿泊施設で眠る。
9時から営業の人たちと通夜葬儀の打ち合わせ。ここで喪主が自分だとはっきりする。いや何となくそうでないのかなとは思っていたけれど。それに喪主だとしても主に話を進めていたのは母と姉だったりする。自分はほとんど口を挟まなかった。それどころか死亡診断書の日付が間違っていたので修正したものを取りに病院まで車を走らせていた。それくらいしかできることがなかったのだ。
通夜葬儀、そして火葬までの日程を年末と言うことを考慮するとめちゃくちゃギチギチ。その日のうちに通夜。翌日大晦日に葬儀と火葬というスケジュール。
時期とご時世を考えて家族葬に。
それでも父と仲が良かった人たちは来てくれた。しかし誰が誰だか知っているわけもなく。挨拶をして回ることもなかった。向こうも自分を知らないだろうし。
身内だけなら喪主の挨拶もなかった見たいだけど、来てもらったからにはしなければいけない。
打ち合わせの時にプランの資料の中に挨拶の定型文もあったので、それをそのまま読んだ。
もう少し時間があればまた違ったことを話したかも。しかし火葬場の休みを考えたスケジュールだと相当タイトだったので定型文に甘えた。
それでも声は震えていたかも。
通夜が終わってから実家へ。皮肉なことにそこから近い葬儀場で悪いことはなかった。
ちょっと面倒だなと思ったのは、こんなタイミングで姉の旦那が自分と仲良くなりたいと夕飯や酒を色々と買ってくれたり話をしたことだ。今は違うような気がした。